清盛の貿易後のファッションと異人館通
神戸が観光スポットとして注目を浴びています。
清盛が有名になったせいで、それまで大輪田周辺は繁華街の駅を二つ三つ離れて閑静な、主要道路と工業地域の多い、海沿いの区域として、商業的な雰囲気はあまりありませんでした。
神社は元から多く、史跡や石碑は多いので、よけい静かな所でした。
いまや、神戸を訪れる人で賑わい、海港都市としての歴史が見直され、中国との交易ばかりだった、日本国の栄華の跡が偲ばれています。江戸期鎖国政策の中でさえ、中国・オランダとの貿易ばかりはあり、出島と港町を中心に、洋風化が進み、キリスト教者も大名を始めとして居ました。
鎖国を止め、ようやく国際化が始まった開国とそれにともなう文明開化による、江戸末期・明治時代・大正時代のハイカラさんたちは、いわば、信長の洋かぶれファッションの踏襲で、既に港町で見受けられ、受け継がれてきた風俗の進化と伝播でした。清盛の頃は、周辺に居住し、都を措いて、神戸港を終日利用した平家が文化文物を独占する日宋貿易の舞台となった現神戸(大輪田泊)港でした。
港の風俗と武家の水墨画だけの時代を経て、国際化・文明開化の影響は、モダンボーイ・モダンガールといった信長進化型洋風ハイカラピープルに加え、異人館という建築の数々をもたらします。異邦人が堂々と住みなすようになった、国際化の証で、鎖国の念力的国家防衛を力ずくであっさりと解除し、武力技術力の違いを見せつける黒い戦艦のイメージの威容を受け継いだ強く美しい建築物で、ファッション性も豊かで、文化に遅れたことも悟らせる美術品のような面もあり、今も残っています。
清盛は先進国である中国の文物を独占的に取り入れていたうえ、それが清盛が生きてきた国の権力向上の秘術でもあったのでした。
そういうわけで、外国人の設計による異人館が神戸市三宮駅のすぐ北エリアに散在しています。港は南側で、その辺りの巨大建築物は、高さはあまりありませんが、当時の美しいもので、企業によって使われています。
北エリアでは、うろこの館などがおすすめ観光スポットとなっています。
ぜひ内へ入って当時を偲んで壁紙・アールヌーボーなどの凝りに凝った技術の痕を愛で、目の保養にしましょう。
